4歳児母。迷うけど、やっぱり働く


LUXEの神保です!

育児のことや好きな本のことを書いていくLUXEブログ「ひるやすみ」

今回は「4歳児母。迷うけど、やっぱり働く」です。

ラジオ感覚でゆるっとご覧ください♪

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夢を叶えてるね。

と言われると、なんだか違和感があるような気がしつつも、ほかにしっくりくる言葉がなかったので、ありがとうございます。と応えた気がする。

高校は工業高校で工業デザインを、大学は工学部の環境デザイン学科で建築、インテリア、プロダクトデザインを学んだ。プロダクトデザイナー(紙器設計)として13年目になる。

と書けば、なんとなく小さい頃から夢があって叶えてるっぽく見える気がする。

でも、そんなわけではない。

幼少期から喘息が酷く、体力が全然無い。走れない。夜は発作で眠れない日もあった。横になれないから座って発作が過ぎるのを待つ。

といった、クラスに1人いるかいないかくらいの病弱な子供だった。ちなみに当時、同じクラスで私より体育を休んでる人は居なかった。そのくらい病弱だった。

なので、体力の必要な仕事は無理だな。と考えた。その時に消去法で残ったのがデザインだった。

高校を選ぶ当時。成績が良かったのが美術と音楽だけだった。でも、音楽を仕事にするためにはお金がかかる。楽器を買うお金がない。中学3年生の私が考えられる、お金と体力がなくても稼げる方法は、これしかない!と思った結果の進路が「工業高校」である。

私の母は「女の子は商業高校に行き卒業し、就職して結婚して寿退社して、子供を産んで育てて、大きくなったらパートに出る」といった考えが強くあった。その反面、母は私が10才の頃から仕事を始め、当時3才の妹の送り迎えは私がする日もあった。

両親は「女性のあるべき姿」みたいなものを押し付けてくることが、たびたびあった。

工業高校への進学は猛反対されたけど、変えなかった。人生を勝手に決められるのは嫌だった。病弱だけど、意志は強いタイプだった。

高校入学後、体育に参加できるようになった。もちろん成績はクラスで下から1、2を争うレベルだけど。こっちとしては参加できるだけ、だいぶ良くなった。

体力は仕方ないとしても、デザイン力ですら下から1、2を争うレベルだった。入学時点で、なんでこんなに上手いの???っていうレベルでみんなデッサン力があり、イラストが上手かった。

ただ、設計の授業だけは、最初から上手い生徒は居なかった。みんな初心者だった。

当たり前だけど、小さい頃から絵を描いてる人は居ても、図面を書いてる人はなかなか居ない。

これしかない。と思った。他の授業はどう頑張っても並だったので、設計の授業はすごく頑張った。

これしかない。と思っていたので、大学も設計が出来るところを選んだ。

大学進学時にも、もちろん母に猛反対されたけど、奨学金を申請して強引に進学した。

絶対大学には行かなきゃいけないと思った。根拠とかは上手く言えなかったし、直感でそう思った。としか言えなかった。自分の直感を親より信じるタイプだった。

大学卒業後、就職。仕事は楽しいだけじゃなくて、悔しいこともあったけど。自分が設計したパッケージが百貨店やドラッグストアに並んだり、雑誌に載っていたりすると、すごく嬉しかった。入社2年目、大阪から東京へ転勤した。

4年前。娘を出産。

ありがたいことに、病弱だった私から超パワフルな娘が誕生してくれた。パワフルすぎて私はほとんど置いていかれている。プールに行きたい、公園に行きたいと言うお願いは夫に任せて、絵本を読んだり、塗り絵したりを担当している。

元気な娘でも風邪をひく。そうすると私も風邪をひいちゃう。

結構手洗いうがいしてるし、基本的にずっとマスクつけてるし。でも風邪はひく。生きてれば当たり前だけど。

娘が日曜日の明け方に、耳が痛いと泣き出した。明け方である。しかも日曜日である。

困った。どのくらい痛いのか。救急病院に行った方がいいのか?冷やせばいいのか?温めればいいのか?何か入ったのか?何もわからないけど、見た感じ何も入ってない。たぶんだけど。

冷やしたらマシだろうか?ひとまず保冷剤をタオルで巻いて当ててみる。無いよりはマシそう?ウトウトしたり、また痛いと泣いたり。

近隣で唯一、日曜日に開いている病院の予約を取る。ネットで取れる上に予約順まで表示してくれる。ありがたい。

タクシーで行く距離だけど、娘はなぜか日曜日とかお盆休みとか年末年始に熱が出やすいので、何度もお世話になっている。そういえば炎天下の中、抱っこ紐でタクシー待ってたな。2年前?3年前のお盆休みだっけ?とかを思い出しつつ、タクシーアプリの更新をした。

娘は寝たり泣いたりを繰り返し、ようやくぐっすり寝てくれたのは、だいぶ日が昇ってからだった。一安心だけど。そろそろ病院の予約時間になる。やっと寝たばっかりだし、私も眠い。予約時間を午後枠に取り直して、寝る。

診察してもらうと中耳炎とのこと。風邪をひいていたので、そこから中耳炎になったようだった。気づかないうちに何かが入っちゃったりとか、そういうのじゃなくてよかった。一安心。お薬をもらう。

朝から大変だったけど。娘はとってもご機嫌で、帰りに好きな絵本をひとつ買って帰ることにした。

無限に体力のある娘(中耳炎だけど元気すぎるくらい体力ある。絵本コーナーの見本を読みまくってる)体力のない私は本屋で立っていられず、夫に託して近くの喫茶店へ。鞄に入れておいた歌集『たんぽるぽる』を読みながら、ティーソーダを飲む。本屋の近くのお店で、とても美味しかった。

1週間ほど経って、私は咽頭炎になった。ただでさえ体力のない私が風邪をひき、咽頭炎になり、声が出ない。けど、娘の治りかけの中耳炎で病院に連れて行かなきゃいけない。

声が出ず説明ができない私に代わり、夫がいつから中耳炎になってるとか、説明してる。けど、日付が違うんだけど……。

私は声が出ない。先生、お薬手帳を見てください…書いてあるから…。念じておいた。ひとまず薬はちゃんと処方されたので、大丈夫そうだった。

さらに1週間後、私の咽頭炎は良くなって声が出るようになった。まだ喉に違和感はあるけど、のど飴でどうにかなるレベル。娘の中耳炎は少しずつ良くなってるけど、まだ違和感があるみたいなので、また耳鼻科へ。

10組くらい待ってる。時間かかるかなあ、と思っていたので、お気に入りの絵本を持ってきている。

この間買った絵本。『かくれねこ』

ウォーリーを探せの猫バージョンみたいな本。ゆるっとしたイラストで、「ショートケーキのまち」「ホットケーキのまち」とか。ケーキの中にねこが隠れていたりする。イラストを見てるだけでも、可愛くて楽しい。

これがあれば大丈夫。今1番お気に入りの絵本だし。と思ってたけど、30分後には「まだー?」「もう帰るー」「チョコエッグ食べたいー」と言い出した。

連れてきていた犬のぬいぐるみ(鞄から飛び出るサイズの)を出して遊んだり、手遊び(グーチョキパー、一本橋など)をしながらどうにか機嫌を取っていた。

受付のお姉さんが、帰りにくれるご褒美シールを先に渡してくれたりもした。優しい。

だが落ち着くのは一瞬だった。

最終手段としてYouTubeを見せた。お気に入りのハムスター動画。永遠にハムスターが出てくる。かわいい。色々試行錯誤したけど、結局YouTubeになってしまうな…。と思いつつ。10分くらいハムスターを見たら呼ばれた。あとで気づいたけど、待合室で1時間半くらい経っていた。

中耳炎は良くなってきてるけど、もう少しかかりそう。またお薬を出してもらう。

やっとどうにか終わった。と思ったら勝手に走って病院の外に出ようとしてる。急いで追いかける。こっちは病み上がりで、まだ喉の調子は悪いし、体力はないし(元々)、1時間半どうにかしてきて限界だった。

もういい加減にして。私は怒った。娘は泣いた。私だって泣きたかった。

本当は怒りたいんじゃなくて、泣きたいんだけどな。全く泣けない。怒るのも嫌だけど。限界になると怒っちゃう。体力の限界とか、我慢の限界とか。

もう少し余裕を持ちたいな。と思いつつ、生きてれば体調悪い日もあるし、毎日余裕あるとか無理やで。と自分を慰める。

帰り道にいつものセブンイレブンに寄って、アイスを買う。怒りすぎたな。余裕がある日だったら、もっと優しく言えたな。

そういう日はアイスを買って、半分こして仲直りする。怒っちゃった後は、ごめんね。って言う。娘も、ごめんね。って言ってくれる。食べつつ、ちょっと多めに娘にあげる。

イライラしないで笑顔でいよう。とか。ずっと無理して笑顔でいるのは疲れちゃうし、母だって人間だから、疲れて怒っちゃう日もあるんだよ。と伝えたりもする。なるべく家族仲良くいたいと思う。

ピノの新作ショートケーキ味、美味しかった。

生きてるし、ずっと体調いいとか無理だし。とは思いつつも、風邪をひくたびに仕事と育児の両立の難しさを痛感して少し落ち込む。……結構落ち込む。

娘が体調を崩すたびに、脳内会議が始まる。

私A「子供が風邪をひいてるのに保育園に行かせるなんて……。私が専業主婦をすればいいんじゃないかな……」

私B「いやいや!子供なんて1年中鼻水出てるもんやで!これくらい大丈夫や!専業主婦向いてるタイプちゃうやろ!仕事辞めてどうすんねん!」

私C「(Googleカレンダーを確認。まだ案件の余裕はあるな。この日とこの日は休めるから、こことここは夫と相談して、無理だった場合は……)」

といった会議を、娘が体調を崩すたびに、行なっているのである。そこそこ落ち込む。


そしてだいたいこの脳内会議を行うと、最終的に「私って何のために働いてるのか」になる。

夫の給料でも、たぶん3人家族が暮らしていくことは出来ると思う。収入に見合った暮らしをすれば、生活はできると思う。


でも毎回、脳内会議を行い、結局辞めずに働いてる。

設計っていう仕事はもちろん好き。図面が立体になる。印刷して箱になり店頭に並ぶ。作ったものを喜んでもらえると嬉しい。

仕事をすると、その分給料が貰える。好きな映画や舞台を観に行ったり、美容院のちょっといいシャンプーを買ったりできる。


だけど、私が働く理由って。なんかそれだけじゃないよなあ。とも思う。

「女の子は結婚して子供を産んで育てて、子供が大きくなったらパートに出る」そういうものだと、親に決めつけられるのは嫌だった。

「女の子は大学に行かなくていい」「大学まで出たのに、あちらの娘さんはすぐ結婚して勿体無い」「長男の嫁が全然料理をしない」

と言った話を、親世代の方から聞くと。なんだかすごく悲しかった。自分が言われてるわけではなくても、しばらく落ち込んだ。

その世代ごとの「ふつう」があると思うし、社会として、それを「ふつう」としてきたのだろうな。と分かっているけど、すごく悲しい。

「女だから」とか「長男の嫁として」とか。そういうなにかを押し付けられると、すごく苦しい。

そんな「嫌だな」って思った時に「嫌だ」と言いたい。嫌じゃないふりはしたくない。

たぶん、私が仕事を続ける理由って、「夢がある」じゃなくて「意志がある」からなのかな、と思う。だから、まだ働いてるんだと思う。

ほんとうは、性別とか年齢とか世間体とか関係なく、好きな選択ができたらいいのにな、と思う。


迷ったり落ち込んだりしても、やっぱりまた働こう。ってなるためには、結構エネルギーがいる。そういうときに、支えてくれるのが本だったんだな。と、紙をめくっていると落ち着く。

5月になって、鞄に入れてる歳時記を「春」から「夏」に替えた。

適当にペラペラめくる。沢山の季語と沢山の俳句が載っている。一番のお気に入りはコレ。

竹下しづの女

『短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎』

「須可捨焉乎」は「すてつちまをか」と読ませる。

捨ててしまおうか、いやそんなこと出来るはずがない。という意味らしい。

私はいつもこの俳句を読むと元気になる。どの時代だって悩みは変わらないんだなあ。自分だけじゃないよね。みんな一緒だよね。もう捨ててしまいたい、って思うほどつらくて、でも、捨てられるはずがない。そういうことを繰り返しながら育てていくんだよね……。って思う。

お気に入りの俳句をもうひとつ。「夏」じゃなくて「春」だけど。

中村汀女

『外にも出よ触るるばかりに春の月』

すごく好き。

月が綺麗だから家族を呼んで見せてあげた。と解釈されているのもあるみたいだけど。

個人的には、女性は家事をする。外に出たり、自分の意見を言ったり、そういうのが難しかった時代。ということを考えると、「みんな外に出なよ!こんなに月が綺麗だよ!」と言ってるこの句は、女性だってもっと意志を持っていいんだよ!外に出なよ!出たらこんなに綺麗な月が見えるよ!と言ってる気がする。すごく好き。

俳句や短歌って慌しい日常のなかで読めて、頑張ろうってエネルギーが貰える。やっぱり好きだなあ。

できることは多くないけど、自分のできることを少しずつしていきたい。悩んだり迷ったりしながら、働いていこうと思う。

(俳句歳時記 第五版 夏 角川書店編)

ここまで読んでいただき、ありがとうございました☆
寒暖差があって体調崩しやすいので、気をつけてくださいね♪